創業3年目にリーマン・ショックが起こって生き延びた話

新型コロナが世界を揺るがしている今、当社もフルリモートに舵を切りつつある。
もともと社内コミュニケーションはチャットとクラウドベースなので、割とスムーズに移行できている。

ところで今の経済状況的に、よくリーマン・ショック時と比較されることが多い。

いろいろ状況が違うこともあると思うが、スタートアップがこの状況にどう対応するべきかの参考になるかと思い、そのとき起こったことと、どう乗り切ったのかを公開してみたいと思う。

ピクスタの創業は2005年8月、事業開始が2006年5月なので、リーマン・ショックが起こった2008年9月は、創業からちょうど3年後、事業開始から2年半後である。

一般的にWebプラットフォーム事業の立ち上げから2〜3年後というのは、やっと形になってきたぐらいで、売上も大きくなく、まだまだ赤字を掘っている状況である。

創業1年後の2006年11月にシリーズAとして6000万円を調達し、その後オフィスを拡大、人員も10人を超えた。

その後の2008年当時はPIXTA事業のみ展開しており、月商200〜300万円程度、営業赤字は月間300〜500万円であった。(ちなみに現在は売上100倍…!)

当時はスタートアップとして資金調達を定期的に行いながら投資を続けていた。しかしすでに2007年中盤ぐらいから、サブプライムローン問題が表面化し、調達環境は徐々に悪化していった。

当時は独立系VCは少なく、金融系VCとCVCがメインであった。またエンジェル層もほとんど存在していなかった。

当時記憶にあるのは、それまである程度積極的に検討してくれていたVCが、だんだん消極的な反応になり、バリエーションもよくて据え置きだったら検討可能、という雰囲気に急に変わっていった。そして検討は遅れがちになり、最後には赤字幅が大きいということで基本断られるパターンになった。

そうこうするうちに銀行残高がみるみる減っていくので、とにかく会ってくれるVCには軒並みアプローチをしながら(合計20社近く)、借り入れにも動いた。借り入れは幸い国金(今は政策金融公庫)と信金から2500万円ほど借りることができた。

しかしそれも2008年の春ぐらいには銀行残高が1000万円を切り、ギリギリの状況になってきた。そこで既存VCから少しずつ追加出資を受けながらも、可能な限りのコストカットを試みた。

・役員2人の報酬を半分に

・新規採用はストップ

・シリーズA調達後に恵比寿に借りたおしゃれオフィスを解約し、株主であるガイアックスの子会社の隅っこにあった空きスペースに間借りした

・当時社外役員でいろいろサポートしてくれていた、現役員の内田さんの報酬月3万円をゼロに
(内田さんはそろそろ上がるかもと思っていたらしいw)

特に自前オフィスから間借りに移るときには相当な葛藤があり、まさに都落ち状態であった。このときに快く間借りさせてくれた、ガイアックス上田社長は一生の恩人である。

同時に増資、借入以外の資金手当てを準備した。

・個人でクレジットカードを5枚ぐらい作り、カードローン枠を数百万円用意
 →結局MAX借りた。5年後ぐらいに完済

・兄がやっている有限会社に数百万円の現金があった
 →結局ほとんど借りた。半年後ぐらいに返済

・当時いろいろ探すと、ある程度しっかりしてそう&違法ではなさそうな高金利のビジネスローンを発見
 →結局借りなかった。その後この会社は破綻

そしていよいよリーマン・ショックが勃発し、まとまった資金調達は絶望的な状況になり、無理矢理にでも収支を均衡させねばならない状況になった。

コストカット可能で最後に残ったのはメンバーの人件費のみ・・。

計算してみると、役員以外の人件費がちょうど半分になると収支トントンになることがわかった。そこで全体会議で告知することを決意し、3日前ぐらいからあまり寝れずにその日を迎え、宣言した。

「近いうちに資金調達できるか、売上が伸びなければ、2ヶ月後から全員の給料をしばらく半分にせざるを得ない。本当に申し訳ない」

発表したときにはあまり反応らしきものはなかったが、これで誰か辞めるかもしれないと覚悟はしていた。しかしすぐには誰も辞めなかった。当時は全員独身だったことも大きかったかもしれない。

そしてその宣言をしてからも新規のVCには定期的にアプローチしていたが、奇跡的に2000万円を出資してくれるVCがいた。まさに人件費を削減する直前に着金し、最悪まで踏み込まずにすんだ。

さらにその2ヶ月後の2009年3月には売上が急伸し、それ以降キャッシュフローはプラスに転じていった。そして最悪期を脱することができたのである。

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この時期の1年半ぐらいはとにかく資金繰りと資金手当てに追われていて、先も見えず暗闇の中をどうにか出口を探してさまよっていた感覚であった。人生においてTop3に入るつらい時期だった。

ただやめようと思ったことは1回もない。

それはこの会社、この事業を通じて生み出せる価値を信じきれていたこと。また売上は伸び悩んでもPIXTAクリエイターの作品投稿は増え続け、それに勇気づけられたことが大きかった。

この時期の経験を通じ、学んだり得たこともたくさんあった。

・スタートアップで最も大事なことは、何があっても信じ切って続けられる事業選択をするということ(ただしそれは簡単ではない)

・あきらめさえしなければ、大抵のことはなんとか切り抜けられること

・資金繰りにはいくらでも方法はあること

・コスト聖域部分に踏み込む覚悟を持つことで、事業に向き合う本気度もレベルが変わり、それが結果的に成長につながったこと(この時期に開始した施策が、軒並みその後のPIXTAの競争力となっている)

・この時期を一緒に乗り越えたメンバーが、後々幹部となり会社の成長を牽引してくれていること

※この時期にいたメンバーの現在

宮前→初代PIXTA事業部長となり、現在は京都オフィスを立ち上げ、mecelo事業責任者

小張→初代開発部長となり、現在はピクスタベトナムを立ち上げ社長&本体執行役員

岡→コンテンツ部長となり、現在はスナップマートの経営を引き継ぎ社長

佐藤→1回転職したが、おととし戻ってきてfotowa開発リーダー

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そしてこのような時期を生き延びたスタートアップは、本質的に顧客に必要とされる事業であるはずだし、経営者および組織の足腰が鍛えられ、その後業界でもリーディングポジションを取れる可能性が高い。

ということで、スタートアップにとっては当面ハードシングスが続くと思いますが、未来を信じてがんばりましょう。

このブログが少しでも参考になれば幸いです。