続PIXTA起業ストーリー8 投資の加速

さて2009年に少しずつ成長軌道に乗ってきたPIXTAですが、引き続き可能な限りの低コストで運営していました。

具体的には、

・広告費はできるだけかけずに集客する
・人材もできるだけ増やさずに業務を回していく
・コンテンツもできるだけコストをかけずに集めていく

という感じでした。

それが変わるきっかけとなったのは、2人の役員の参加と、グロービス・キャピタル・パートナーズというベンチャーキャピタルとの出会いでした。

役員のうちの1人は内田で、元々は創業直後から社外役員になってもらっており、主にコンテンツ面から多くのバックアップをしてもらっていました。社外役員時代の内田は、自分でストックフォトのプロダクション会社を経営していて、ハイクオリティの人物写真をプロデュースし、世界中のエージェンシーを通じて販売するという事業を行なっていました。

その後4年の期間を経て、フルタイム役員として参加してもらう決断をしてくれました。社外役員期間を含めて、内田がいなければ今のPIXTA人物コンテンツは存在しないと言えるでしょう。

またもう1人の役員は遠藤で、元々は僕が2000年に入社したガイアックスという会社の創業メンバー役員でした。つまり元々の上司で、ガイアックスの株式公開後に退任し、自分でECサイト運営の会社を経営していました。

遠藤は上場経験者でもあって多くの知見があるので、ことあるごとに経営について相談をしていたり、個人株主として応援してくれていましたが、内田の参加と同じ年の2010年に常勤役員として参加してもらうことになりました。

また時期を同じくしてグロービス・キャピタル・パートナーズの仮屋薗さん、高宮さんとお会いし、今後の戦略についていろいろとディスカッションをさせてもらう機会が何度かありました。

新役員も含めてディスカッションするうちに「成功モデルはすでに固まりつつある。あとはいかに顧客を先んじて取り込んでいきシェアを取れるか。そのためには必要な投資を惜しみなくすべきである」という方向で固まってきました。

必要な投資は何なのかというところで、まずは人材採用を進めて開発スピードや改善スピードを劇的に高めよう!という結論になりました。それから積極的に求人媒体に求人広告を出し始めましたが、なかなか思うようには採用が進まず、投資も加速もあまりせぬまま半年程度がすぎていきました。

しかし新たに参加してくれた役員の遠藤が、ひそかに測定を行いながらリスティング広告の投資を増やしてくれており、みるみるうちに売上への貢献が出てくるようになりました。費用対効果がはっきりと見えるようになってからはMAX金額まで出稿を行い、それまでの数十倍の費用をかけるようになりました。

また徐々に良い人材も採用できるようになり、会社を回せるスピードもどんどん早まっていきました。こうして人材投資と広告投資の両輪で成果が出始め、成長が徐々に加速されていったのでした。

次回に続く。

今年もありがとうございました2012

今年もいろいろとあったが、会社がさらに一段上のステージに進んだ1年だった。

恒例の年明け全社合宿からスタートし、前半はかなりのリソースをPIXTAの全面リニューアルに注ぎ込み、なんとか4月末に実施することができた。同時に人材採用とオフィス移転を進め、年後半には4~50人の体制となり、これまでにないスピードでサイトの機能リリースや改善を進めることができるようになった。

またピクスタの理念やウェイ(行動指針)、戦略がようやく定まったことで、会社としての軸も定まり、今後の成長にとって非常に良かったと思う。

自分としても会社の成長を遅らせないよう、個人としても成長しないといけないと危機感を持った1年だった。

特に5月のロンドン出張以降、英語を使う機会がけっこう増えてきた。

英語勉強法としてはDUOをひと通りこなし、朝晩は英語ニュースを聞きながら通勤し、レアジョブで週2~3回は実際に会話をすることで徐々に向上してきている感はあるが、まだごく簡単な会話しかできないし、少し込み入った話になるとだいぶわからなくなってしまう。

すでに海外との取引は増えつつあるし、ピクスタの事業戦略上海外展開は大きな柱なので、来年でなんとしてもマスターしなければ!

また毎月末にオフィスでやっている納会で、今年からなぜか「コマタ企画」というコーナーができ、僕がゲームやクイズを企画して司会までするということを1年やり通してしまった。。

最初は軽い気持ちで始めたのが、妙に盛り上がるのでつい毎回力を入れてしまったところは若干の反省点か・・。

(まさか納会前の部長会議中に、たまに必死で準備してたとは誰も気づいていなかっただろう)

ちなみに1番盛り上がったのは「チキチキ!ピクスタ大運動会!」という企画のの腕相撲コーナーだった。。

話を会社に戻すと、今年は徐々に事業の加速感が出てきたこともあり、コンテンツ数は年初から2倍になり、月間取引数も2倍近くまで伸びた。

ただ会社のビジョン達成のためには、まだまだスピードをあげないといけない。(毎年言ってる気がするけど)来年こそは勝負の年となるだろう。

今年もクリエイター、顧客、ピクスタメンバー、株主、また応援してくれた数多くの方のおかげで会社が順調に発展することができました。

本当にありがとうございました!

それでは良いお年を!

続PIXTA起業ストーリー7 成長期突入

続PIXTA起業ストーリー3でも書いたとおり、PIXTAはリリースから3年程度でようやく成長軌道に乗り始めることができました。

当時の自分が感じていたことはよく覚えていて、今でもよく思い出します。2009年3月の売上がカクっと伸び、「あれ?これまでとは何か違うな?」と思ったのですが、今から見るとそのときがターニングポイントであり、成長期に入った瞬間だったのだと思います。

しかし当時はまだ半信半疑で、数ヶ月間は「この売上はたまたまで、また元に戻ってしまうかもしれない」という不安に駆られていました。なので特に浮かれることもなく粛々と業務にいそしんでいました。

しかし減る一方だった現預金は毎月増加しはじめ、売上の増加ペースも徐々に高まっていきました。不安は杞憂に終わり、軌道に乗ったという確信に変わって「これまでやってきたことは間違っていなかった」という思いを強くしたのでした。

また2009年4月1日に社名変更をしており、「株式会社オンボード」から「ピクスタ株式会社」に変更しました。「PIXTAにすべてを賭けてやっていこう」という思いでの社名変更でしたが、その覚悟が乗り移って成長フェーズに入れたのかもしれません笑。

ちなみに成長期に入った後も、引き続き極力低コストでの運営をおこなっていました。オフィスは中目黒の立地の悪い雑居ビルで人材も最低限しか増やさず、オフィスの掃除なども毎週ジャンケンで当番を決めて(僕も含めて)自分達でやっていました。

掃除制度は役職など一切関係なく、ジャンケンに負ければそれぞれ掃除機、机拭き、トイレ掃除を1人ずつ担当するというストイックな制度でした。ちなみに僕は公私ともにトイレ掃除に命を賭けていて、当時他のメンバーのトイレ掃除後に、姑のようにチェックをしてダメ出しをしていたのはなつかしい思い出です。

ベンチャーとしては本来ここで投資を増やし、さらなる成長を志すべきだと思います。しかしそれまでの厳しい資金繰りによる超低コスト運営が染みついていたのと、はたしてどこに資金を注入すればさらに成長するのかという方針が固まりきっていなかっという理由で二の足を踏んでいたのでした。

この状況から、いくつかの出来事がきっかけとなって「超低コストの上で業績を伸ばしていく」というスタンスから「最大限の成長を実現するために必要な投資を惜しみなくしていく」というスタンスに変わっていったのでした。

それについてはまた次回。

続PIXTA起業ストーリー6 資金調達

PIXTAはその事業特性上、売上が安定的に立つまでの期間が長く資金繰りが大変でした。

PIXTAをリリースしてから1~2年はひたすらクリエイター獲得とコンテンツ集め、サイトの作り込みを行なっており、ほとんど売上はありませんでした。にも関わらず社員数は10人を超えていました。

ではどうやって会社を回していたのか?

それはベンチャーキャピタルから投資を受けて、それを運営資金としていたのでした。しかし実績もなく、売上もない会社がおいそれと投資を受けられるわけではありません。

クリエイターの獲得やサイトの機能開発などと並行して、あらゆるツテを通じて何社ものベンチャーキャピタルにアプローチし、ひたすら事業の将来性を訴え続けました。それでもほとんどのベンチャーキャピタルは投資決定には至りませんでした。

それでも5社に1社は本格検討してくれ、さらにそれから5社に1社が投資に至るという感じでした。

中にはアマチュアの写真が売れるはずがないという見方や、市場が大きくなるとは思えないといったPIXTA事業そのものを否定する担当者もけっこうおり、まだ片鱗も見えていない将来の成功イメージを持ってもらうことは本当に大変でした。

立ち上げ後数年間は事業活動と資金調達活動を常に並行して行なっていました。ある程度売上が立つまでは、月間の赤字額が数百万円にのぼっており、資金がギリギリになった時期もありました。

それでも決してあきらめずにPIXTAの成功を信じて動き続けた結果、最終的には数年間の間に数社から合計2億円ほど投資を受け、軌道に乗ることができたのでした。

このまま順調に業績が伸びてピクスタが無事に株式公開することが出来れば、投資された金額が数十倍のリターンとなり、ベンチャーキャピタルの期待に報いることができます。

株式公開することでパブリックな存在となり、さらに大きな価値を生み出せる土壌が整いますので、さらに頑張っていきたいと思います。

ピクスタの日常

最近会社に人が増えてきて、いつの間にか40人近くの大所帯になってきた。

そんな中ピクスタ社では日々いろいろな事件が起こっているが、せっかくなので一部を紹介。

■シナガワ嬢結婚

ピクスタが誇る才色兼備キャラのシナガワ嬢がこの間とうとう結婚した。

少し前から入籍すると聞いていたので、いざそうなったら社内で大々的に発表し、20人ぐらいの人間アーチをくぐらせて恥ずかしがらせてやろうともくろんでいた。しかしなんと金曜日の帰りの日報メールの、しかも最後の行で全社向けに報告を済ませるという暴挙に出た。。。危機察知能力はさすがである。

ちなみに独身男性主体で構成されている当社の開発部だが、そのショックでPIXTAの全面リニューアルが1ヶ月遅れたという説もある。

■ネ申ウエシマ氏入社

1年半前からピクスタでエンジニアのアルバイトをしてくれていた東大大学院生のウエシマ氏が、なぜかそのまま新卒で入社してきた。

アルバイトですでに馴染んでいたので誰も新卒とは思っていなかったが、毎日来るようになって見たことがない栄養ドリンクを飲んでいたり、普通の3倍ぐらいの大きさのおにぎりを食べていたりと奇行が目立つようになった。

しかしコーティングスピードが恐ろしく早く、すでに一部では神と呼ばれ始めているらしい。

バクダンおにぎりを持つウエシマ氏

■みそ汁の具マシマシ事件

ピクスタではランチのお供用にインスタントみそ汁と各種スープが無料で支給されているのだが、ある日みその袋だけが大量に余っていることが判明した。

さっそく社内では当たり前のように、オカ氏が具だけをダブルまたはトリプルでぶち込んでいるのではという疑惑が起こったが、結局犯人はわからないままだった。

そこで管理部のタカギ嬢が「みそ汁ポリス」と命名され日々のパトロールを行うことになった。専用の制服を用意するという恐ろしい噂も。。

松屋襲撃事件

ある日の昼、1人で松屋に行って380円の豚しゃぶ丼をがっついていた。

後ろで聞いたことのある声がして振り返ったら、ピクスタのゴトウ嬢やヤマモト嬢など独身女子3人が持ち帰り弁当を買っていた。

さっと気づかなかったフリをしたが時すでに遅く、3人に囲まれ「何食べてるんですか~」「おいしそうですね~」と話しかけられ、満員の店内でジロジロ見られながら豚しゃぶ丼を食べるはめになった。。。

なぜ牛丼屋で知り合いに、しかも女子に見つかると異様に恥ずかしいのだろうかorz...。

ということでこれらの登場人物をもっと知りたい方はこちらからどうぞ!

ピクスタ株式会社メンバー紹介

続PIXTA起業ストーリー5 数々の失敗

初期の頃からお付き合いいただいているクリエイターの方はご存知だと思いますが、PIXTAはこれまで数々の失敗をしてきました。特に新規サービス・新機能として満を持してリリースしたものが期待外れに終わり、あえなく終了となったものが多いです。

具体的には


◯購入者の方が欲しい素材の要望を登録しておくと、PIXTAユーザーが検索して関連素材を提案できる「探してPIXTA!」

→(提案内容から購入せずに結局自分で検索して購入してしまったり、無関係な提案が多く来たりという状態が続いたため一旦終了となりました)

◯オリジナル撮影案件を受注し、PIXTAクリエイターにマッチングする撮影サービス

→(発注はそれなりに来ましたが、単価が高い案件ほど調整が大変で、本業の素材販売に支障が出てきたため中止となりました)

◯購入者の方がPIXTAの素材を使って制作した制作物を登録して宣伝可能な「PIXTAショーケース」

→(登録数があまり集まらず、またホームページ制作に偏ってしまったため中止となりました)


などなど。。

これ以外にも数えきれないぐらいの失敗をしていますが、中でも過去最大級なのがPIXTAリクエストサービス」です。「探してPIXTA!」と似ていますが、購入者の方の「こんな素材が欲しい」というリクエストに対して、クリエイターが実際に素材を撮影して提案できるサービスです(すでに持っている素材でも可能)。


PIXTAリクエストサービスは事業構想段階からあったもので、素材販売と並ぶ事業の柱とすべく2007年の2月に立ち上げました。当初は注目度も高くリクエスト依頼がそれなりに来ていました。しかし依頼者の期待とクリエイターの提案内容のギャップ、また実際に素材が提案されるまでのタイムラグに問題があり、なかなか成約にはいたりませんでした。

そのうちに素材販売のほうは順調に立ち上がり売上も伸びていきましたが、リクエストサービスは月間数十万円のまま横ばいが続き、3年ぐらいたったところでこれ以上手をかけても見込みがないと判断してあえなく閉鎖となりました。

僕としてはオリジナル撮影とストックフォトの中間を埋められる、これまでにない新しいサービスを生み出せるのではないかと期待していたのですが、そうはうまくはいきませんでした。

ただ可能性は今でも十分感じているので、しかるべき時期に形を変えて再挑戦してみたいと思っています。

またユニクロ柳井社長の著書「一勝九敗」や、名著「ビジョナリーカンパニー」の「大量のものを試し、うまくいったものを残す」というフレーズにもあるように、失敗は成功の過程では必要不可欠のものであると思っているので、これからもたくさんのトライをして事業を磨き上げていきたいと思います。

続PIXTA起業ストーリー4


ピクスタは創業以来オフィス移転を繰り返しています。今年の4月にまた移転しましたが、今のオフィスでなんと7回目になります。

平均1年に1回以上は移転している計算です。うち6回は拡大で、1回は都落ちwのためでした。(6回は拡大といっても、都落ちで1回縮小になったので振り出しからスタートという感じでしたが)

最初の立ち上げ時はガイアックスに間借りさせてもらって1年すごしました。1人で始めて1年後には4人になり、2つの机を4人で使用するようになりました。

しかしデザイナーの宮前氏とヒザが触れ合ったりして限界に近づいたので、渋谷で13坪のオフィスを借りて1人立ちしました。

しかしその後すぐに資金調達を行なって拡大路線に入り、そのオフィスは5ヶ月で出てしまいました。しかし拡大路線に入ったものの見事に業績は拡大せずに2年後には都落ちに・・・。またガイアックスに間借りをお願いすることとなりました。

ちなみにそのときは社内が男だけ7人という時期で、シャレで「社内恋愛は禁止だ」と発言したことが都市伝説となり、今でも社内ではそれが定説になってしまっているという事件もありました。
(今では女子メンバーのほうが多くなっています)



現在の最新のオフィスは広々していて、天井までちゃんと壁がある会議室やランチスペース、畳の仮眠スペースなども揃っていてかなり充実してしまいました。

しかし初心は忘れず、いつでも1つの机を2人で使う段階に戻れるような気構えは必要ですね。

・・・次回に続く。。