遺伝子がオンになるということ


こんにちは。これがすでに今年2本目のブログということに小さな達成感を覚え、自分の志の低さに愕然とした古俣です。

先日とある会で、かねてから尊敬していたIDOM(旧ガリバーインターナショナル)創業者の羽鳥会長にお会いできる機会がありました。
 
羽鳥会長といえば、現在のスタートアップ業界ではそれほど知られてないかもしれませんが、90年代に中古車買取専門店ガリバーをゼロから5年弱で500店舗まで拡大させたり、設立4年で会社が上場したり、60歳を超えてアメリカをマラソンで横断したりと、不可能を可能にしてきたスーパー起業家なわけです。
 
その羽鳥会長がよく「遺伝子がオンになる」という話をしているのですね。


羽鳥会長の超人的エピソード


羽鳥会長が30代のときに、義兄とやっていた会社が詐欺にあって倒産し、再起を図ろうと中古車販売を始めたが、資金もなくプライドも邪魔してなかなか行動できずに悶々としていた時期。
 
そこにチンピラ風の男がやってきて「羽鳥のやつらは夜逃げしたんだってな」と、夜逃げなどしていないのにそう言われたと。そのとき全身に鳥肌がたち、体中の血が逆流するように体が震え、怒りがこみ上げてきたそうです。そして「俺は絶対に再起してみせる」と決意したと。
 
そのときに火花が散るように自分の遺伝子がオンになった、と羽鳥会長は言っています。
 
遺伝子がオンになる、というのは、筑波大学の村上教授という、長年遺伝子の研究をされてきた方が提唱されている話で、すべての人間の遺伝子は99.5%が同じであると。そしてほとんどの遺伝子は眠ったまま一生を終えるのだそうです。しかし偉大な成果を出す人間は、何かのきっかけで眠っていた遺伝子がオンになったからだ、ということだそうです。
 
羽鳥会長は遺伝子がオンになった結果、超人的な行動力を発揮し、まずは1万円で仕入れたカローラを知人に頼み込んで45万円で買ってもらうところから始め、普通は1人で月に3〜5台売るのが限界である中古車販売を、1人で月50台、年間600〜700台を売り切り、その結果、3年間で3億円の借金を返済したという驚異的なエピソードがあります。
 
僕はその話をまだピクスタ創業の頃に雑誌で読み、人間その気になればどんなことでも実現できるものだと、とても勇気づけられことを覚えています。
 

19歳のときのイスラエル体験 


そして振り返ってみると、自分にも実は遺伝子がオンになったのかもしれない瞬間が2回ほどありました。1回目は19歳のときに初めての海外体験で行ったイスラエル旅行、2回目は23歳のときにたまたま入社したガイアックスという会社での初めての営業体験でした。
 
自分は高校入学のときから、何に対しても意欲が持てず、悪友とだらだらと街を徘徊したりゲーム三昧の日々を送ったりと、どうしようもない時期を数年間すごしていました。そのままなんとか大学には入れたものの、堕落した日々は改善されず、なんと大学1年生でいきなり留年してしまったのです。
 
そのときはさすがに反省したものの、かといって生活がそれほど変わることもなく2回目の1年生の夏を迎えていました。そのとき、たまたま叔母がイスラエル人と結婚してイスラエルに移住しており、そろそろ1回遊びに来なさいと打診がありました。
 
海外に行ったこともないのにいきなりイスラエルか、、とだいぶ渋ったものの、留年した負い目もあるし、親からも行ってこいと半ば強引に進められたので、渋々行くことにしたのでした。
 
そして1ヶ月間、いろいろ大変な思いをしながらも、1人でイスラエルの各地を回ってみたのです。
 
3つの異なる宗教が共存している聖地エルサレムであったり、周囲が敵国だらけの国境近辺では、自分と同世代の若者が銃を装備して厳戒態勢を敷いていたり、途中で叔母に紹介してもらった現地の大学生から、不足する水資源を確保するためのバイオ研究の施設を見せてもらったりと、日本で暮らしていてはまったく触れることのなかった、世界の現実をリアルに感じることができたのです。
 
また、どこに行くにも人に聞かないとわからない、バスだろうがタクシーだろうが、自分の希望を片言の英語でしっかり主張しないと動いてくれない、という現実に、日本でのほほんで過ごしていた19歳の自分が直面したのです。そこで覚悟を決めて開き直った結果、相手が誰であろうが片言だろうが堂々と主張する、という図太さと自信がそのときに身につきました。
 

自分の遺伝子がオンになった瞬間


その体験を通じ、不思議なことに、それまでの閉塞感しかなかった人生がぱっと明るくなり、大きく視界がひらけたのです。世界はこんなにも広く、日本とはまったく異なる現実がそこにあり、また同時に大きな可能性に満ちているのだと実感できたのです。そして自分もその広い世界で挑戦することができるかもしれないと。
 
日本だけで過ごしていると、日本特有の同調圧力により、いかに人と同じかが問われ、本当に自分らしい生き方を無意識にあきらめていたのかもしれません。しかしイスラエルに行き、世界の多様性に触れることで自分の遺伝子がオンになり、本気で自分の生き方を考えられるようになったかもしれません。
 
そしてイスラエルから帰国するときには、自分は事業家として生きよう、と決意していたのです。それからは悪友に誘われても一切断るようになり、自分で事業を立ち上げるためだけにほぼすべての時間を投下するようになりました。
 
もう1つのガイアックスの営業体験による遺伝子オンの経験については、長くなってしまったので、また別の機会で書きたいと思います笑。
  

遺伝子がオンになる人材


そして、ピクスタを創業して13年半の間にも、遺伝子がオンになったであろうピクスタメンバーが実は何人もいるのではないかと思っています。あるとき急に行動や姿勢が大きく変化し、それまでの何倍ものスピードで成長する人材が定期的に出てくるのです。
 
そういった人材の共通点は何かと考えてみると、
 
  • それまでに、マグマのように溜まった思いや鬱屈した何かを持っていること
  • そこにストレッチした挑戦の機会が生まれ、そのストレスに負けずにやりきったこと
  • 自身の使命感、生き方が、そのミッションにマッチしていること
 
があったように思います。
 
1回遺伝子がオンになった人材は、それが長期間持続し、数年たつと見違えるような成長を遂げています。
 
そして全員が全員そうなれるかはわかりませんが、経営者の役割として、1人でも多くのメンバーにそのようなきっかけを提供したいと思っています。
 
みなさんも遺伝子がオンになったような経験はありますか?